忘れたいけど忘れてはいけない日。

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この日の事は忘れたいけど、忘れてはいけない日だと思っています。

1995年1月17日 阪神淡路大震災

もう、24年もたつのに今でも思い出せます。
私はこのブログでは、年齢や出身地などをはっきりとさせていません。
多少年齢、出身地の幅が狭まるとは思いますが、このことを避けては通れないです。
阪神淡路大震災に関してです。。

真っ暗な中で何かあった?とうっすらと覚醒した
次の瞬間に猛烈な揺れが襲ってきました。
何が起こったのか分からなくて、
布団の中でくるまっていました。
いつ揺れが止まったのかも分かりません。
その時間が長いのか短いのかも。
その当時家には、両親、祖父母、兄姉がいました。
親の声が聞こえたので布団から顔を出すと、
真っ暗な部屋の中で何となく見えたのはぐちゃぐちゃに
なった部屋でした。本棚やタンス、テレビが倒れて、
色々なものが落ちていました。
電気もつかないので寝る前に脱いだはずのスリッパがあった場所を手探りで探し、
真っ暗な中を恐る恐る落ちているものに気を付けて
部屋を移動しました。
どの部屋もぐちゃぐちゃでした。
何が起こったのかも分かりませんでした。
それまで、関西には地震のイメージがなかったので、
地震だと理解するまでにすこし時間がかかりました。

この当時にしては珍しく、父親が仕事の関係で
携帯電話を持っていたので、
それで早朝ですが遠方に住んでいる親戚に
家族の無事だけを取り合えず伝えました。

親戚は、もちろん寝ていましたが、テレビで後に事の重大さを知って連絡を貰っていたので安心できた。

他の親戚も確認の電話をしてきたと話していました。

明るくになるにつれて、
被害がだんだんと明らかになってきました。
ガスも電気も水道も使えません。
近所ではガス漏れもあったようでした。
幸い、火事は近隣では起こりませんでした。
私の家は、建てる時に当時にしては、
耐震に力をいれて頑丈に作っていたので、
ひび割れなどが少し起こっただけですみました。
明るくなると片付けが始まりました。
何が起こったかあまり理解することもできずに、
ただ目の前の片づけをするだけです。
私の家は避難をすることはなかったです。
母親が普段から買い置きが多めなこと、
カセットコンロがあり、調理関係には困らなかった、お風呂に汲み置きの水があったので
避難所に避難せずに自宅で何とかなりました。

近所の避難所となった中学校や小学校には、
たくさんの人がいました。

普段見ることのない光景。
今でもその光景が忘れられません。
電気が付くようになってテレビで見た
報道される街並みに泣きそうになりました。

後はただ、バタバタと日々が過ぎていきました。
いつくらいに日常だなと思えるように戻ったのかは覚えていません。
忘れたい位大変で覚えていたくないのですが、
忘れれるわけもない記憶で、
また忘れてもいけない記憶です。
毎年この日になると仕事は休むことが多いです。
何もしたくなくなる。
布団で丸まって何も考えずにこの日を過ごしています。
当時は、震災の後の精神的ストレスが相当あったのだと思いますが、
現在と違ってそれを気にする余裕や、震災ストレスに対する、
ケア体制も整っていなかった。
そのためか、いまだに少し阪神淡路大震災を引っ張ってしまっています。

少しでも不安がなくなるようにと避難バッグは用意していますが、
それでも日々不安です。
この1月17日が一番ピークになります。
考えても仕方のないことだと分かっていますが、
あの日が起きなければ私の今の生活は多少違ったのか?
それとも変わらなかったのか?
ただ、震災が私の今の性格形成、人格に多少の影響を与えたのは確かです。

今回のブログ内容は重くなってしまって申し訳ないです。
この日を忘れたいと思うと同時に、こうしてどこかに記しておかないといけないとも
思っています。この記憶が今後の震災時に少しでも役立てばと…。

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